
全国の民謡ファンの中で、圧倒的人気を誇るのが北海道の「江差追分」ですが、常にベスト5入りをしている「佐渡おけさ」も2位になったことがありますので、順位はともかくとして全国的に知名度の高い民謡であります。
この「佐渡おけさ」については、多くのHPで述べられていますが、起源、由来については様々な説がありますので、ここで一つずつまとめながら分かりやすく説明したいと思っています。
しかし、現在一般的に知られている「佐渡おけさ」というものは、平成13年に相川で設立された
立浪会が作ったものであることは確かなようです。
佐渡歴史伝説館に行くと、小木の寂れた蕎麦屋を「おけさ」という女性が猫に化けて繁盛させるという化け猫伝説の話が立体映像で見ることができます。また、かの有名な手塚治虫さんの漫画に
「おけさのひょう六」という話があり、そこでは相川を舞台にひょう六とその妻であるおけさという女性が登場しますが、この女性の人も実は化け猫なのです。その他にも話の中身が違う「化け猫伝説」はいくつかありますが、どれも佐渡が舞台で「おけさ=女の人=化け猫」が踊ったという共通点があります。

新潟県には「佐渡おけさ」以外にも「おけさ」と名がつく民謡として「柏崎おけさ」「出雲崎おけさ」「新潟おけさ」「寺泊おけさ」「巻おけさ」「浜おけさ」等があり、佐渡でも「小木おけさ」「赤泊おけさ」「選鉱場おけさ」があります。 この中で「佐渡おけさ」があまりにも有名なため「佐渡を舞台におけさ伝説が作られ全国各地に広がったのでは」と考えられますが、実は新潟県では「佐渡おけさ」が誕生する以前から「おけさ」という言葉を使っており、民謡の中でも主に「ハンヤ節」の事を新潟県では「おけさ節」といっています。
この「おけさ」という言葉の発祥起源に関して、桶屋佐助のフイゴ唄から起こったとか、お坊さんの袈裟踊りから出たとか、遊女「おけい」がはじめた唄だとか様々な説がありますが、どれも定説ではないようです。また発祥地も定かではありませんが、少なくとも佐渡ではなく越後であり、その中でも、出雲崎に「おけさ源流の碑」というものがありますので、一般的には出雲崎ではないかと考えられています。
1800年初期の文献「総援潜語」の中にすでに、 この國(越後)の流行歌として「桶佐節」という言葉が登場しています。
※県外においても、「小谷おけさ(長野県)」「大正寺おけさ(秋田県)「坂元おけさ(宮城県)」「初瀬おけさ(奈良県)」等がありますが、新潟県が圧倒的に「おけさ」という名称を使用しています。

「ハンヤ節」とは九州熊本の港町牛深の船乗りの酒盛り歌で、時化などで港から出られないときに港町で歌われるようになり、次から次へと港町を北上しながら全国各地に伝わっていきました。
1750年頃、幕府の財政が苦しくなり、佐渡から長崎へアワビを送るようになるのですが、その頃九州の「ハンヤ節」が北上し、越後、そして佐渡へ入って来たのではないかと考えられます。
しかし「佐渡おけさ」や「九州のハンヤ節」には「ハー」、「ハンヤー」とそれぞれ言葉が入るのに対して「出雲崎おけさ」や「柏崎おけさ」はいきなり唄の文句から入ります。また江戸時代、佐渡は一国天領として幕府の重要な拠点であり、出島のあった長崎奉行が佐渡に赴任することが多く、さらに河豚(フグ)の事を「フク」というのは佐渡と九州である等、多くの共通点と交流があったと考えられますので、「佐渡のおけさ」の方が「越後のおけさ」よりも節まわしとしては「九州のハンヤ節」に近かったのではないかと考えられます。
そこで、節まわしとしては九州のハンヤ節が佐渡に原曲に近いまま佐渡に伝わり、一方呼称としては越後から「おけさ」という言葉が佐渡に伝わったと考えられます。
出雲崎を中心とする「越後のおけさ」も「ハンヤ節」の仲間ですが、これらは、「ハンヤ節」が伝わる以前から存在し「ハンヤ節」が伝わったことによって、これまでの「おけさ」の文句を「ハンヤ節」に乗せて歌われた事で生まれたという説があります。
| 都道府県名 |
民謡名 |
| 熊本県 |
牛深ハイヤ節 天草ハイヤ節 |
| 長崎県 |
田助ハイヤ節 五島ハイヤ節 生月ハイヤ節 樺島ハイヤ節 |
| 佐賀県 |
呼子ハイヤ節 |
| 鹿児島県 |
鹿児島ハンヤ節 六調 阿久根ハイヤ節 |
| 山口県 |
般若踊り |
| 島根県 |
浜田節 |
| 京都府 |
宮津アイヤエ踊り |
| 福井県 |
美山ハイヤ節 |
| 石川県 |
加賀ハイヤ節 白峰ハイヤ節 |
| 新潟県 |
佐渡ハンヤ節(山田のはんや)佐渡おけさ (相川おけさ・選鉱場おけさ) 小木おけさ 赤泊おけさ 新潟おけさ 寺泊おけさ 出雲崎おけさ 柏崎おけさ 巻おけさ(やかたおけさ) 塩沢はねおけさ 地蔵堂おけさ 三十おけさ 三条おけさ |
| 長野県 |
小谷おけさ |
| 山形県 |
庄内ハエヤ節 |
| 秋田県 |
大正寺おけさ |
| 青森県 |
津軽アイヤ節 津軽塩釜甚句 南部アイヤ節 |
| 北海道 |
江差餅つき囃子 |
| 宮城県 |
塩釜甚句 坂元おけさ |
| 茨城県 |
潮来甚句 |
| 奈良県 |
初瀬おけさ |
| 広島県 |
三原やっさ節 |
| 徳島県 |
阿波踊り |

このハンヤ節の中で現在最も有名なのが「佐渡おけさ」ですが、徳島の「阿波踊り」のルーツもハンヤ節と言われています。

明治32年佐渡に訪れた小説家尾崎紅葉が書いた「続佐渡ぶり」によると当時佐渡を代表する民謡として「相川音頭」「夷甚句」「小木追分」を上げています。この中で「小木追分」は騒ぎ唄で、騒ぎ唄はこの他「小木大津絵」「出雲節」「小木おけさ」等を取り上げています。
佐渡金山のある相川では、鉱山労働者が鉱石を分ける際、労働の能率をあげる為に唄ったのが「選鉱場おけさ」であり、鉱山労働者の祭典である当時の「鉱山祭り」では、この 「選鉱場おけさ」を中心とした「おけさ流し」のパレードが繰り広げられ、当時の労働者数3、000人による「おけさ流し」は相当な盛り上がりを見せ、西の「阿波踊り」、東の「おけさ流し」と言われるほど、全国的に知られていました。
一方で、ハンヤ節はもともと、船乗りが酒の席で歌う騒ぎ唄であり、佐渡では民謡としてあまり評価は高くありませんでした。そんな中明治末期の頃は佐渡の景気もよくなり、「両津おけさ」「水金おけさ」等各地で新たな騒ぎ唄が登場し、佐渡のハンヤ節は絶頂期を迎えますが、騒ぎ唄が盛り上がる事で既存の民謡が廃れるのではという風潮が起こり大正2年には相川の鉱山祭り以外では「ハンヤ節(おけさ)」は唄われなくなります。

「佐渡おけさ」という名前がはじめて登場したのは、大正9年東京神田の日本青年会館で開催された第一回民謡大会において、両津から石野琢磨(唄)、冨樫栄吉(三味線)が「両津おけさ(?)」で参加することになり、その際「両津おけさ(?)」とするよりも「佐渡おけさ」とした方が全国的に知られているということで、これを「佐渡おけさ」と称したのが最初ということになっています。
現在知られている「佐渡おけさ」は、大正13年に相川で設立された
立浪会により作られたものです。この佐渡おけさは、「正調おけさ」〜「ぞめきおけさ」〜「選鉱場おけさ」の3部構成になっており、これを総称して「佐渡おけさ」としています。
「正調おけさ」は、騒ぎ唄としての「ハンヤ節」のイメージは全く感じさせず、三味線をバックにゆっくりとした歌い出しではじまります。そしてその後、笛や太鼓が加わり、踊りが登場して「ぞめきおけさ」に変わり、最後に本来の「ハンヤ節」の要素であります騒ぎ唄「選鉱場おけさ」へと変わって行きます。
「選鉱場おけさ」での退場シーンで跳ね踊りを「ジャンピングおけさ」といいます。これは昭和37年、フランスのニースのカーニバルに立浪会が招待され「佐渡おけさ」を披露した際、その退場シーンのステージを見たフランス人が「ジャンピングおけさ」と叫んだことに由来します。
立浪会は相川の誇る民謡「相川音頭」を保存する目的で結成され、会名は相川音頭の歌詞の中にあります「どっと笑ろうて 立浪風の」に由来します。結成当時「相川音頭」の唄い手の第一人者は松村直吉でありました。そこで、立浪会は松村直吉を中心に既存の民謡である「相川音頭」の保存につとめる傍ら、会としても新しい民謡を作りたいと、風岡藤作(会長)
曽我真一(演芸部長)
浅香寛(振付)等の手によって「アリャサ」の囃子言葉と十六足の振付を創作し、騒ぎ唄の要素を取り払いゆっくりとした「正調おけさ」から「ぞめきおけさ」「選鉱場おけさ」と移り変わる、ショーとしての「相川おけさ」を制作しました。しかし「佐渡だけじゃなく全国に広めたい。だから相川ではなく佐渡としたい」という
曽我真一の強い意向のもと「佐渡おけさ」と命名さました。
そしてこの「佐渡おけさ」の唄い手として大役を任されたのが
村田文三になります。 村田文三は佐渡鉱山で働いており、「
選鉱場おけさ」の唄い手であったため、新しい「佐渡おけさ」を唄うことにもわりと自然に入っていったのではないでしょうか。
「佐渡おけさ」を全国に広める上での
立浪会の巡業範囲とスピードはすさまじく、大正15年はじめて
村田文三が「佐渡おけさ」をレコードに吹き込んでからわずか10年余りの間に、全国はもとより、朝鮮、台湾、中国にまで唄を広めるため巡業を行っています。
この巡業活動の中心であった
曽我真一は一人で大量 の民謡雑誌を購入し「佐渡おけさ」に投票したり、大柄な
村田文三が空腹で声が出なくなることを懸念して黙って自分のご飯を分けたり、家の財産を持ち出すなど狂ったように「佐渡おけさ」の普及に努めたのです。
当時の時代背景と亜細亜情勢から考えれば、このような活動を行っている民謡団体は全国手的にも例がないこともあり、一躍全国的に知られる民謡となったのです。
※昭和13年に発表されている軍歌
「麦と兵隊」の間奏で、「佐渡おけさ」が使われているということは、このとき既に佐渡おけさが全国的に知られているということを表しています。

佐渡おけさが僅か10年で全国的に有名になったことで「おけさといえば佐渡おけさ」「おけさの発祥は佐渡」「佐渡で生まれたおけさの伝説(化け猫伝説)」と、佐渡を中心におけさが語られるようになり、様々な誤解を生んだのではないでしょうか。
昭和33年には東京国立競技場で1,000人の佐渡おけさ、37年にはフランスのニースのカーニバルにも参加し、「佐渡おけさ」は名実とも日本を代表する民謡になりました。
ちなみにそのときニースのカーニバルに一緒に参加したのが高知のよさこい鳴子踊りのチームで、それをきっかけに翌年(38年)、高知のよさこい祭りに佐渡おけさ隊として
立浪会が参加し、佐渡のおけさ祭りに高知のよさこい鳴子踊り隊が参加するという交流もありました。
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2006年村田文三の没後50年の年に、昭和初期に吹き込んだ音源をもとに復刻版のCDが発売されました。
販売元 ビクターエンターテイメント株式会社 |
| 参考資料 |
| 書籍 |
「立浪会史」
「佐渡の伝統文化」 |
| H P |
「がしま」
「相川郷土史辞典」 |
| 協力 |
立浪会
七浦民謡研究会
佐渡観光協会相川支部 |
|
| 都道府県名民謡名 |
| 4月 |
おけさ祭り |
相川地区 |
| 7月 |
鉱山祭り |
相川地区 |
| 9月 |
佐渡おけさ全国大会 |
相川地区 |
| 9月 |
よさこいおけさ |
国仲地区 |